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日向往還をあるく

日向往還をあるく
浜町まで
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鼎春園/八勢眼鑑橋/八勢石畳

鼎春園は、徳川幕府の政治を改革するため、倒幕運動の先駆となって活躍した宮部鼎蔵先生の偉業をたたえるために顕彰した公園です。また、八勢眼鑑橋は江戸時代、日向往還はここを経て矢部に通じており、この橋が架けられるまでは、人馬ともに行き悩む、最大の難所でした。架橋によって、物資の流通が盛んになり、さまざまな生活物資が矢部地方にもたされました。

(問)御船町経済振興課 TEL 096-282-1111

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金内橋/赤子谷の石畳/鬼の巡り石

町指定文化財である金内橋は嘉永三年(1850)に保田保之助によって架橋されました。赤子谷の石畳は、石畳が幅1.7m、長さ120mにわたって残っており、山鳩の鳴く声が赤子の声に似ていることからその名がついたと伝わります。高さ3m、幅2mの巨石が台石の乗った鬼の巡り石は、この台石に小石を投げて乗ると恋が叶うと言われています。

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備前屋(現・通潤酒造の酒造場)

備前屋野尻清九郎の居宅は、寛政三年(1791)、細川斉茲公が間谷山の狩りに来られた時本陣としたところで、御成りの間があります。また、西南戦争で薩軍が御船で敗れた際、西郷隆盛が日向往還を通って備前屋で軍議を開きました。現在は、通潤酒造の酒造場となっています。

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通潤橋

国指定重要文化財であり、日本最大の石造アーチ水路橋。保田保之助設計のもと、感慨用として轟川に架けられた眼鏡橋で、嘉永七年(1854)七月に完成しました。多量の水を送ることができ、現在では白糸大地を潤しています。

浜町から
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浜の館

承元元年(1207)、阿蘇大宮司惟次が南郷より矢部に移り、居館として設置し、天正13年(1585)まで歴代の大宮司は武将として活躍しました。昭和49年、県立矢部高校の改築に伴い発掘調査をしたところ、黄金の延べ板や瑠璃杯など合計12点が発見されました。

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聖橋

矢部地域で最初に架けられた眼鏡橋は、「矢部の石橋」の礎となった橋です。新橋の拡張工事にともない取り壊されるはずでしたが、保存を願う多くの住民の声で、平成11年に修復されました(町指定文化財)

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山屋のトンネル

凝灰岩を掘り抜いた素堀で、“日向往還の山屋トンネル”と言われています。開通年代は不明で、長さ22m、高さ3.3m。出口には地蔵尊(明治3年)があります。

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虎御前

虎御前は日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」に出てくる曽我十朗の愛人。本懐後討ち果てた十朗の供養に、この地を訪れ松を植えたという伝説から地名がつきました。

馬見原まで
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夫婦岩

三河橋(現在の馬見原橋)北詰には、高さ5mと4mの大岩が道の両側に立ち、長さ6mの注連縄がかけられています。二つの岩が夫婦が寄り添っているように見えることから“夫婦岩”と呼ばれています。

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馬見原

国道265号線と218号線の交差地に位置する“馬見原”は旧宿場町であり、明治中期ごろまで酒造業の盛んな商業の中心でした。青年期の若山牧水が修学旅行で訪れた際には多くの歌を作り、その中の一つは石碑に刻まれています。

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新八代屋

馬見原地区に残る、当時としては珍しい3階建ての木造建築物で、醤油造りに使われていました。現在では、活気ある馬見原商店街のシンボルになっています。

日向往還歴史ウォーク

日向往還は、山道が主となります。車での移動や普通車での運転が困難な場所もございますので、あらかじめご了承くださいませ。また、時間は目安になります。